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お盆 家族で集まって 義父が旅立って


私たちは4人兄弟、うちの両親は別居。母はマンションに住み、父は生まれ育った田舎に。


孫は8人。私の息子が結婚し、お嫁ちゃんが増えて、総勢19人。

毎年、8月15日と1月3日に集まることになっています。


今年は受験生が二人とママが欠席で、16人が集まりました。


父の家のお盆は、8月13日から迎え盆です。

東京では7月にお盆のところもあるのね、知りませんでした。


母は13日から田舎の父の家に入り、私と夫は買い出しをして、14日に。


父の家に行く途中、久々に母の実家にも寄りました。両親はハトコの間柄なので、実家同士は隣村なのです。


母の兄弟や従兄弟、その息子が7人でお昼を食べている中、従兄弟の子供の芸大入試・優秀作品を見せてくれた。


芸大入試の優秀作品。私の頃は「サザエと立方体を組み合わせて油土で作りなさい」だったけど、大分変わってた。平面デザインの問題も、読解力が無いと取り組めないなと思った。
芸大入試の優秀作品。私の頃は「サザエと立方体を組み合わせて油土で作りなさい」だったけど、大分変わってた。平面デザインの問題も、読解力が無いと取り組めないなと思った。

凄いな。おめでとう!


父の家に着くと、夫は母に元気よく庭に連れ出され、汗ダクダクで庭仕事の手伝い。


高いところをやって、重いものを持って、これを運んで、これをまとめて。遠慮なく指示を出す母と、素直に従う夫。
高いところをやって、重いものを持って、これを運んで、これをまとめて。遠慮なく指示を出す母と、素直に従う夫。


私は座布団を干したり、食器やコップを出したり、明日の準備。


他の家族は15日に、手に手にお土産を持って来た。


息子夫婦も遠方から来てくれて、お昼は鰻。


どこに座る?こっちに座ってちょうだい。最後まで座らない2人が象徴的。(母と夫)
どこに座る?こっちに座ってちょうだい。最後まで座らない2人が象徴的。(母と夫)



今回の参加は3人欠席の16人なのに、

私が人数を数え間違えて、17個の鰻を注文してしまった。すみません。

お土産になって良かったかな。(前向き)


鰻重は鰻が2枚でずっしり。

妹と義妹は半分残して、母は1/4残したけど、

私と、30歳、20歳、14歳女子は全部食べました。

(56歳食べ過ぎ問題 ほほほほほ だって美味しいし、お腹は空くし。)


皆が果物とお菓子を持ってきてくれたので、果物の高価な昨今、贅沢な盛り合わせ。

メロン2種、もも、葡萄、梨。それに父の家のすもも。

お菓子もたくさん集まりました。


手前の女子2人、物怖じしない15歳の姪ちゃんが息子のお嫁ちゃんにマシンガントーク。思春期の残酷さと無邪気な明るさを合わせ持つ、恵まれた都心の女の子の話は、明るい方からだけ見た、世界の縮図みたい。
手前の女子2人、物怖じしない15歳の姪ちゃんが息子のお嫁ちゃんにマシンガントーク。思春期の残酷さと無邪気な明るさを合わせ持つ、恵まれた都心の女の子の話は、明るい方からだけ見た、世界の縮図みたい。

甥2人が社会人になって、会話の内容も変わってきました。もっと色々聞きたかった。

写真撮影をして、片付けて、解散しました。


写真の確認をする父。見えるかな。
写真の確認をする父。見えるかな。


16日は入院中の義父(元夫の父。息子にとっては祖父)のお見舞いに行く予定で、息子夫婦と我が家に帰ってきた。


シャワーを浴びようとしたら、「今亡くなったって」と扉の外から息子の声がした。


実感が無いまま3人で素麺を食べて、16日はお見舞いの予定そのままに、亡骸のお顔を見に行った。


仏間に横になっていた。義父は口を開けてカーカーと安らかに眠っているようで、すごく平和だった。


午後には寝顔だったお顔は、帰る頃にはもう寝ている顔ではなくなっていた。


19日に告別式に行ってきました。


14日から、母の実家、父の実家、東海の親戚と、沢山の人に会った。私の実家の人はTシャツにハーフパンツ、夏のワンピース、涼しくて綺麗な色の服だったけど、東海の家族はもちろん、喪服だった。


酷暑に喪服のルールも、ゆるめてもいいのでは無いかと思ったけど、あの日差しに動く漆黒の人影は強く脳裏に焼き付くなと思った。


我が家の実家は千葉、母は日蓮宗、父は神道なので、東海のルール、曹洞宗のお見送りがとても興味深かった。

お別れが悲しいというよりは、感謝で泣けた。


最後のお別れをする時は

「ありがとな」「ありがとう」「おつかれさま」

の声ばかりでした。


父の時の練習をしているみたいだと思いながら。


前は祖父母、今度は父の代、こうしてお世話になった人が旅立って行く輪が狭まっていき、その後は私たちの代だ。

40代の時に想像もできなかった感覚、70代になったらまた想像していなかった感覚になっていくんだろうな。



生まれた土地を離れず、真面目に生きてそこに貢献し続けた人。言葉ではまとめられない気持ちでいっぱい。
生まれた土地を離れず、真面目に生きてそこに貢献し続けた人。言葉ではまとめられない気持ちでいっぱい。

義父は離婚してからも野菜や花を送ってくれた。手紙もくれた。

思い出すと、身をよじるくらいの申し訳なさと、あたたかさで、表現できない気持ち。

いま、どのへんにいるの。

本当にありがとうございました。


居なくなった気がしないです。



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