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壁、殻、鎧(音語り感想2/3)


おととい、昨日と、楽器に向かう人達の様子を見て。

演奏一本で生きていこうとする人、というか、「観客に向かって今、喜びの場を作る」人たちは、再現や修正を許されず、しかもズブの素人にも演者の揺らぎが一目瞭然という、とても厳しい職人たちで、

楽器演奏、アスリート、声楽。あとはなんだろう、将棋、俳優、他に何かあるかな。

若い頃から、「現状のままではこれ以上伸びない」という壁というか殻に、何度もつき当たる。

鎧という表現を使う人もいる。

そこに突き当たって、暴れたり、嘆いたり、分析したり、真似したり、徹底的に訓練を繰り返したり、内省したり、身体や思考の流れを変えたり、

100人が100通りのやり方で、次のステージに行くんだけど、

壁、殻、鎧の様子も、厚みや質感が一人一人全く違う。

乗り越える。破壊する、通り抜ける、弱い1点を見つける、溶かす、統合する、解釈を変える、壁の持つエネルギーを利用する。

壊されたり、解けたり、透けたり、乗り越えたり。

昨日の指導者、ヴィオラの村上さんが、ある方に、

「楽器を弾く上で、自分の今まで一番大切にしてたものを手放してもいいんじゃないかな」

と言い、

その方が「それには少し時間がかかる」というようなニュアンスの返答をした。

私もそう思った。私自身の変化はいつもじわじわしていて、

「なんだかいつの間にか、新しい場所のようなところに、いるような気がする」

という曖昧な感覚が日々強固になっていく、という繰り返しだったからだ。

ところが村上さんが

「何を何を。ベルリンの壁だって一晩で崩壊したんだ。一晩あればできる」

と言い切った。驚いた。

私が感じている自分の壁は、殆どオートクチュールのような見事なカーブを持って体と一体化し、思考に触れない程度の距離で、まるで私を守ってくれているように私を包んでいるのを感じる。

眼球(めだま)を外してごらんなさい、と言われて「は?」と思うように、この鎧を外せるという概念も、忘れそうだ。

重いなあと感じるけど、脱ぐ必要性をそこまで強く感じない、そのくらい長年にわたり馴染んできた鎧だけど、

人が真剣に生きながら次々鎧を抜いていく様子を見ながら、そのうち私もこの曖昧な鎧の境界線を見つけて、脱ぐ試みを開始するのかもしれない。

それとも、複雑な心の仕組みの奥のほうでは、もうすすめているのかも知れない。

曖昧なことばかり書いてしまったけど、こういう「それに触れた人をへんな気持ちにさせる」ことっていうのが、気になって眠れさせなくさせるほど人の根底を揺さぶる力こそが、本当の芸術なんだと思うんです。

毎度毎度、そういうものに触れると、変な気持ちを抱えたまま帰り、言語化にとっても苦労する。

言語化できない体験が人を新しい場所に誘い、そこに行った人にしかそれを語ることはできない。

揺さ振られた自分の何かを眺めてみようと思います。

「この音はどこからするの」 という微細な音を、ひたすら探していくように。

写真はポール・クレーと、ヘンリー・ジョン・ストックと、ネットからお借り。

良い日をお過ごしください。


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