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察してファンタジー 小説教室


小説教室に通っております。

って言うと、

「妙子さん、やっぱり小説家を目指しているのね!」

と言われるのですがそういうことではなく、

(ブログをアップするのと、小説って、もう全然、全然、違うものだから!)

父が 「妙子さんも小説教室に通ってみたら良いと思います」 という手紙と新聞の切抜きを送ってくれたので、申し込んでみました。

私は、わざわざ親しい人が「妙子さんに良いと思う」と名指しでおすすめしてくれるものは、きっと自分には見えない何かがその場にあるのだろうと考え、時間を作って行くようにしています。

そんな訳で通っている小説教室で、今まで作品を3つ出し、全員の講評を受けました。

が、作品提出はそこで止まってしまい、最近は人の作品に感想を述べるだけの今日この頃。

感想はひとつの作品に対して、生徒さんが全員、発言していきます。

自分の実力は棚にあげて講評しましょう、というルールがあるので、

私も思う存分言いたいことを言ってます。

そこでは毎回、すごく本質的なことが明るみに出るので、震撼している次第です。

今回は「立ち居地」の話。

自分は「実は」こんなに繊細なことを、

特別だということを、

内面が美しいことを、

いつもこんなことを考えているんです、ということを、

「この文章から汲み取ってくれ」

という「察して」立ち居地から書かれた作品って、ぞっとするほど陳腐。

この「察して立ち居地」から仕上がってしまった作品に対する嫌悪感は

生徒さん全員共通で、多分世界全国共通だと思うんです。

私自身も割と最近まで、さんっざんやってきた、 「オレってほんとはこうだって、知ってた?」 の「察して立ち居地」は、

「表に出ると負けるから、自分は表に出ないまま人に察してもらおうする浅ましさ」

なんだと、この教室ではっきり思い知りました。

「実はこんな凄いこと考えてたんだよね」

という、この「察してファンタジー」、

絵や楽器の世界では多分「悲しいかな、ただ下手なだけ」で終了するところが、文章だともう、丸見え。恐ろしい。

心の立ち居地は、まさに生き方そのもので、ほんとに考えさせられます。

実力が無いなら、無いで良いんです。それをごまかそうとして、「今回はたまたまできなかった」「ほんとはできる」ように自分を甘やかす思考は、なんとか卒業していきたいと思います。

巷に出ている惨めな小説、情けない小説は、それを堂々と表記できる強い立ち居地からしか仕上がらない。

ああ、感性だけで、甘すぎる察してファンタジーで仕上がる作品なんて無いんだ、これをちゃんと知っていたなら、美大なんか行かなかったろうに。

(感性とファンタジーでなんとかなると思ってた)

現実からずっと逃げてきたので、気づきが超遅い。

まあ、今からでも、気づけただけで、良しとしましょう。

(ここに来て、父が、無意識に私の超弱点を狙ってこれをすすめてきたような気がしてきました。恐るべし父)

というところで、今日のお話はおしまい!(何屋なのか)

写真は文章から何もかも見透かす、小説の先生です。

ではでは、連休中も、元気に営業、やってます。

初めての方、勇気を持ってお越しください。 サロンでお会いしましょうね!!


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