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森の下草、空の移ろい(本日のメイン2/3)


本日19時より、オーケストラを聴きに行きました。

房子さんが

「チェロ奏者の音がね!本当に凄いの。どうしてあんな音が出るんだろうって考えたんだけど、もう「ロシア人だからじゃない?」って話に落ち着いた」

と興奮しながら(割に結論ざっくり)そんな話をしてくれていたのですが、

実際に演奏を聞いてびっくり。

本当に「どこから出てるの、どうしてその音が出るの」という形容しがたい緊張と弛緩を同時に響かせる深い倍音。アレクサンドル・クニャーゼフ。

極上の樹脂を持つ木と、薄く薄く延ばした金属板と、さらに反響のための何かと、地底からの声と、大量の魂を攪拌して震わせたようなその音は、

「他の人がこの楽器を弾いたらどんな音がするのだろうか」

という素朴な疑問を、大いに掻き立てました。

何が入っていてこんな音が出るのだろう。預言を含むような。

膨大な量の過去に未来が一瞬加わると預言になるのかな、などと考えながら聴いていましたが、

アンコールに、オーケストラのメンバーの真ん中で、ソロで弾いてくれたバッハ2曲はもう胸にこたえて、こたえて、泣けました。

オケの人たちが彼を囲んだ状態で、自分の楽器によりかかり、また自分の楽器を抱きながら、しみじみ彼の音に聞き入る表情がまた、本当に良かった。音楽の、本当の力。

後半はラヴェルの「マ・メール・ロワ」全曲。

これについては房子さんから

「ラヴェルのこの曲、本当に良くてね、皆で弾いてるともう綺麗で、涙が出てくる。わたし作曲者の中ではラヴェルが一番好きかも知れないわ」 と聞いておりました。

いいなあ、そんな音楽の同心円の中心で音を発することができて。

私は観客として、ここまで届いた波紋をひたすら味わうだけなのに。

って言ったら、房子さんが

「観客も波紋を出すのよ」

と澄ました顔で言った。

えっそうなの!面白い。 「私はそう思うわ」

どういうことだろう。波紋を出し合う。

何かとても根本的で大切なことに直結しているような気がします。

ラヴェルといえば「ボレロ」、ボレロといえば「あの陣痛みたいな曲」。

それしか知らなかった私ですが、山田さんの指揮する「マ・メール・ロワ」の美しさは、

ヨーロッパの森で柔らかな下草がゆっくり葉を広げながら厚みを増していくような、

視界を遮るものの無いくらい広い場所で、珊瑚色からラベンダーへの天体グラデーションを目の当たりにしているような、

凄く軽やかなエネルギーが髪の毛のようになびきながら立ち昇っていく、そんな美しさでした。

そんな中で房子さんは気高くやさしく満ち足りた表情でバイオリンを弾いていて、

オーケストラは明るい琥珀色に練られて上昇し、もう許されればオイオイ泣きたかった。(我慢)

「妙子さんが泣いてるの見えたよ」と後で房子さんに言われました。

良かった。聞けて良かった。この音、この音楽、この場所。

良い涙が沢山出ると、綺麗になる気がします。

(顔は実際悪化してたらしいけど)

良かった、皆様も美しいものにはどんどん近づいて、肉体と魂に浸透させましょう。

ああ、幸せの余韻は人を平和にする。

良い記憶。

おやすみなさい、良い夢を。


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