くるくると表情がかわる人、複雑な表情をする人。 54カ国に配信されているウェブマガジンに、表情について書きました。 リンク先の写真は東北のマイナーなお祭りで見た仮面です。 ・・・・・・・・・・ 寝しなに味わう、感覚の世界 「子供:表情」 Photograph & Text by Taeko Akiyama
大学生になった辺りから、知り合いがぐっと増えるとともに、独特の表情をする人がまわりに現れはじめた。
会話にスパイスを加えるように、ちょっと片方の眉を上げたり、両眉を軽く上げて瞬きをしたりする。
聞くと外国に関係が深い環境で欧米型の表情が癖になってしまったらしい人が多かった。(現地で生まれ育っても、欧米型の表情を全くしない人もいる)
しかし中には「思春期に外国映画を見て、スターの表情を練習した」という人も複数いた。道理で色々な感情レベルでの「何?」や、「さあ?」という時に、例の表情が差し込まれる訳だ。
自分が日常努めて鏡を見ないようにしていることもあって、鏡片手に丹念に映画スターの表情を練習し、それによって自分の全体をより良く演出するという発想に呆れながらも感心した。(つまりは、モテたい願望のなせる技だ)
私は人の有り様について、なんとなく全体と調和していない部分、つまり意図的に作られたものの作為が透けて見える、不自然な部分に興味を集中させてしまう。それが作り込まれていればいるほど、おかしなエネルギーを発して空目立ちしているからだ。作為を持って作り込まれた表情は複雑な違和感として記憶に残る。
表情はシンプルなほうが良い。建築現場の職人さん達の笑顔は素敵だった。大きな口を開けて笑った。年を重ねてくるとそう簡単な問題でも無くなり、いつも躍動的な表情を実行しているとたちまちシワが増えるし、澄まし顔をしていると重力に負けてくるが、そこを色々作り込んでしまうと偽ホトケのような微笑に仕上がり、気味が悪い。
電車の中にいる子供を見ていると、彼らの表情はフィルターが無くてわかりやすい。人に嫌味を言い放つ時のような、幾重にもフィルターが掛かった表情は、見苦しい。左右非対称に表情筋を使うのも、嫌味の仲間だと思う。
望むべきは、好奇心と笑顔と静寂、それに愛しいものを見守る穏やかさ、たまに憂いと涙。
そのくらいのレパートリーで明日も生きていけたら、と祈りながら眠りましょう。
おやすみなさい。
願わくば、平和な寝顔で。
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