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執筆者の写真秋山妙子

思索の先に開けること


理系の頭の良い人の話を読んだり聞いたりするのが好きで、なぜ好きかと言えば私にその要素が皆無なあまり、視力5.0の視界の話を聞くような、未知の感覚に心が躍るからなのです。

数学者の岡潔の本に、数学の定理を解くとき(で合ってるのかな)、

一日10時間や12時間や、お風呂も食事も忘れて考えている日を詰んでいくと、

山の上や湯船の中で気持ちがゆるんだときに、今までウンウンと湯気が出るほど考えていたことたちが頭のなかで一定の方向に動き出すのを感じるそうだ。

大きな問題が解けるときはそういう感覚が来るそうだ。

面白いと思って、理系の学者さんの女友達にその話をしたら、彼女は同じような苦しみの後、道を歩いているときに頭の中にポコッ・・・・ポコッ・・・と泡がいくつか立ちはじめて、最後に赤い泡がポーンと弾けると、今まで考え抜いてきたことがまとまりはじめるそうだ。

その話をお若くて優秀な南米育ちのSEさんに言ったら、あーなんとなくわかります、僕もどんなに考えても全く意味のわからなかった文字の羅列が、あるとき急に「全部わかる」時がありますね、と言った。

それを理系の言語学研究の人に話したら、 「私の場合、眼の前の壁が少しずつパネルみたいに落ち始めて、最後全部が崩れたときにその向こうに答えが開ける感じです、答えは、作られたんじゃなくて、はじめからそこに《ある》んです」と答えてくれた。

なんなの、この世界・・・・・。

「あーわかる」って言う人、いるだろうな、素敵だな。

私の場合、学問ではとてもとても味わえないけど、これに嗅覚が働くってことは、まんざら完全に無縁では無いのかも知れないぞ。

人生でなら、できるかも知れないぞ。

と思った次第です

今日やり取りした中で響いた一言

「机の上で変化させられることは、皆無」

いや、ほんとですね。最近実感してます。

沢山行動して、正直に動いて。

今日も良い一日で、あった。

また、明日。

行動に勝る変化無し。 気づくの遅いけど、気づかないよりはいいってことであたたかく見守ってください。


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