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執筆者の写真秋山妙子

技術の向こう側(音語り感想1/3)


毎年夏は、本郷幸子さんが主催する「音語り」に足を運んでおります。

「ケルン放送響主席:村上淳一郎さんをお迎えして」の、公開個人レッスンと公開リハーサルに行ったのが昨日。

結局8時間以上、皆さんにくっついて見学しておりました。

「どこが違うんだろう?ここにいる皆も気づいたことがあったら遠慮なく言って」

という村上さんの言葉に、

《うながされれば玄人集団の中でも平気で質問や意見を言うことができる》

という部分的に太い神経を持つ私のアンテナが、羞恥心など瞬時に吹っ切り、

「あのー、完全な素人ですけどいいですか」

と手を上げて自分の感じた身体の使い方について話しました。

それに楽器をしている方が後ろから補足してくれて、嬉しかった。

最年少は高校2年生。

お若い人たちの純粋な思いが村上さんや本郷さんにやさしく受容され続け、最初はおずおずと、そのうちにのびのびと、最後は境界を越えて開花するその様子はただただ美しく、自分の有り様を考えさせられました。

沢山メモを取りました。

・イメージを付加してフィジカル(音・作用)を変えてゆく力

・この場は、どこに向かっているのか

・繊細な部分に差し掛かっても、自分のエネルギーは静めない

・身体を越えた場所まで、音(エネルギー)を作用させる

・楽器の中心と自分の中心を合わせる

・この場で何を共有するのか、ずっと根底にある共感を太くしていく

・体の「どこ」でそれを語るのか

・効果のエッジは精密に、細かく

・煙のように、音に絡まる

・丸太を抱えた腕を外すようにシンプルに。腕をうねらせない

・蛇のような音

・含みを持たせた曇り

・焦点を合わせないことで別の何かとつながりはじめる

・主体性を失わず、でも空っぽになって、音楽を身体に通していく

など、など。

本番は本日。もちろん行きました。

演奏は全員の思い「この瞬間にこの音楽のある場所」が見事に上昇気化し、多分観客も同じ一体感で、ほんとに泣けました。

場が輝くって、こんな感じ。

村上さんの奏でるモーツアルトからは、植物が微細に震えながら少しずつ蕾を開いていく様子を感じ、モーツアルトの秘密に近づけた気がしました。

ブロッホも良かった。これから聴いていきたいと思いました。

ああ、今日も良い一日でした。

幸福な気持ちで。

おやすみなさい。

(写真はリハーサル中一時預かりした、「桃仕様に作りました和菓子でございます」という質感の赤ちゃん。赤ちゃんのときからこんな音楽聞いて、贅沢な御子やーー)


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