• 秋山妙子

「微細な音に体を開くこと」


昨日、ケルン放送交響楽団の首席として活躍されているヴィオラ奏者の村上 淳一郎さんの公開レッスン&リハーサルに行ってきました。

村上さんや本郷さんは演奏するときに二つの面白い何かを開いていくのですが、

それはこの曲の響きを味わい、喜びを発信するという場の中心になるという花弁みたいなものと、

この曲の周波数によって周りから発動される波を受けながら場を高めていくことで、

この発信の花と受信の震えが受粉して、会場全体をひとつの幸福な泉にしていく感じ。

公開レッスンでは、真面目なお嬢さんが、クラシックの規律を守りなさい間違えなくなるまで練習しなさいときつくきつく言われてここまで訓練してきた枠組みを記憶させたまま、心だけ抜け出して大きく外に出て行くというところで、非常に難産していた。

素人でもすぐ同調できるくらいに、その人の恐れが音に出る。

ついていけるかどうか、間違えないかどうか、なるべく前に出たくない、突飛な音を出したくない、早すぎで迷惑になっていないか、悪目立ちしてやしないか。

演奏しながら、皆の体に、「うまく馴染みたい」色の上着が重ねられていくのが見える。既に癖になっているんだ。

「まとまろうとしないで。同じ方向をしっかり見ていれば、ずれていても良いんだから」

と村上さんが何度も何度も皆の上着の自覚を促し、そのたび皆が上着を振り落として新しい気持ちで演奏を重ねていった。

「馴染む」ことが演奏の生きた喜びを覆ってしまうことのないように、楽器を奏でている今を忘れないまま終わりまで辿りつけるように。

公開リハーサルで、枠組みを壊しすぎたような勢いでビオラを弾いていた男の子がいた。

その子は前回の公開レッスンで、弓を硬く指で押さえながらとても苦しそうに弾き、村上さんに「うん、ありがとう、弾いてみてどうだった?」と聞かれたときに「辛かった」と答えた子だった。

こんなに豊かになったんだ。嬉しかった。

彼の笑顔も良かった。

この公開レッスン、いろんな人に声をかけた中で、 お若い友達2人が来てくれた。(ええ子や)

一緒にご飯を食べました。

そのお二人は北欧に住んでたり、チェネジアで言語学を勉強していたり、アラビア語だのウルドゥー語だのイスラエル語だの、私の全く駄目な領域にさらさらと生きている方たちなのですが、

彼らからは、自分の微細な感覚を礎にして、自分と世界の調和をゆったり探していく、優しい波が出ていた。

私の知っている、一般的な「大人とはこうあるべき!」から逸脱した場所。とても新しかった。

結局、自分の微細な場所まで耳を澄ましていくことが、本当の平和というか、静寂というか

どんな場所にいても満たされる場を作れる鍵だと思うんです。

昨日のレッスンと、彼らの様子が繋がって、

私もインプットを重ねながら、必ず自分の微細なところまでそれがどう作用しているかどうか、丁寧に見届けながら生きていこうと思いました。

良い、一日。 おやすみなさい。