15年通っているお寿司屋の木戸さん(仮名)が倒れて入院していたことを昨日初めて本人から聞いた。72歳。
心不全。
その日木部さんは朝からすぐ息が上がり出し、嫌な予感がしたそうだ。
しかし奇しくも満席の予約で、文字通り命を担保に仕事を終えた後、次の日の朝に心拍数が140を超え、肺に水が溜まって倒れこみ、3週間の入院。
「息ができないんだから。そりゃ苦しいなんてもんじゃないよ」
と言っていた。物凄く苦しかったらしい。
身体がおかしいなと思っても、お客様を断るなんて、やっぱりできないですものね、、、、
と聞いたら、
「お客様は待ってるから。そんなことできないよ」
と言ってから
僕は、命掛けて握ってるからね、 今回のことでよくわかった。
と言い、 「僕は、命掛けて握ってるから」 ともう一度繰り返した。
カウンターに座りながら、本当にその通りだと思った。
その通りだと思いながら、生の魚の切り身が乗った小さなお寿司を口に運んだ。
木部さんの握ったお鮨をいつでも食べられると思っていた私は、彼の職人としての引退は考えたことがあっても、命が終わることがで「鮨が途絶えようとは考えたことが無かったので、いつも特別に食べていたお鮨が、さらに特別に感じた。
特別なので、味わっていても形が崩れていかないまま胃に下りてゆく。
それは悲しい味では無く、静かな魂を切ったのをまるのまま食べるというか、思いの欠片を食べているというか、とにかく大切な、名残り惜しい味がして、胃に長い余韻を残した。
私は平和な毎日の中で、空気がいつもそこにあるように、明日も同じことが続くと思い込んでいる。
明日も同じ物が食べられると思っても、そうではないこともある。
ちょうど木部さんの技術を生涯支えていた一番太いお客様・笹さんが亡くなり、お葬式をしたばかり。
笹さんは巨体をカウンターにのしかけて座り、自分でインスリンを打ちながら日本酒を飲むという恐るべき人で、風貌も威圧感も実績も普通の人間とは桁違いのエネルギーを持っていた方だったので、
「笹さんが木部さんを引っ張ったんじゃないの、寂しくて」
と言ったら、
俺も倒れながらそうかなと思ったよ。まあ泳いで帰って来たけどね。
と笑っていた。
まだ8時だというのに、木部さんは物を落としたり、注文を逃したりしはじめた。私はそんな木部さんを見たことが無かったので、もう帰らないといけないと思い、早めに引き上げた。
川を渡る暗い車の中で、やっぱり目が塗れた。
濡れながらも、お鮨は美人だったし、素晴らしかった。
命を削ってまで握って欲しくないけど、彼にとっては命を削らない程度のものを出すくらいなら、そのまま死んだ方が良いのだろう。
そんな気持ちでの鰯、小肌、雲丹、中トロ、鯛、いくら、皮剥、卵。
まだまだ握ってください。
木部さんがこうだ、これが美しいんだと思うように人生を凌いでください。 私たちはカウンターの外から木部さんを応援します。(食べながら)
ご馳走様でした。 (写真はその後 なんとなく飲みにいったところでめずらしく頼んでみたラム酒)
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