目をあけて最初に見たものを母親と思い込む
カルガモの雛的な「最初の刷り込み」というものは、
けっこう深く、長く影響するもので、 子供の頃から
人生はあなたの思うままに動いていくから、大丈夫 と言われていれば なんとなくそんな気持ちで生きていけるし、 お前の望むことなどひとつも
(ネバー、エバー) 叶えてくれないのが人生というものだ と言われていれば 人生は必然的に重くなってゆくように、 何かと最初の 「こんなものなんだな」 という感じは大切なものです。 私が今でも「これは素晴らしかったな」 と思える刷りこみは、 高校生の時か、予備校生のときに読んだ 何かの些細な一文。 「中国では満員電車は 沢山の〔気〕をもらえるものとされている」 これを読んだとき、なぜか物凄く気に入って、 それからというもの、 何の疑いも無く毎日嬉々として 満員電車に乗り込んでいました。
(混めば混むほど気が上がる) 内臓が潰れるのではないかと思うくらいの 嫌悪を感じる無作法な人間や痴漢に 何度も遭遇したにもかかわらず、 それはそれ、という感じで 「沢山の〔気〕をもらえる」感じは 不思議と揺るぎません。 そんな訳で今でも満員電車に何の抵抗も無く、
いきまーす! という感じで乗りこんでいます。 よく「満員電車が耐えられない」という人がいます。 それは大変なことだと思います。 私は単純なので、 最初にインプットされたものが 「満員電車は気を吸い取る」だったら、 もっと人生に難儀していたはず。。。。 あの時の一文が今でも輝いて記憶に残っています。
だから満員電車も今だに、輝いて見えています。 (明日も、頑張りましょう!)