• 秋山妙子

「生きやすい場所に、自分で」(長文&一種のカミングアウト)


あるお客様が、お子さんのお話をしてくれました。


小学校低学年の息子ちゃん。


座っていられなかったり、落ち着きがなかったり。


担任の先生にもあまり好かれていない様子。


その息子ちゃんの様子は、まさに私の小学生のときと同じ。


他にもいらっしゃいます。小学校で、集団生活をするそのルールに、どうしても馴染めないお子さんを持つお客様。


コミュニケーションは充分に取れ、家庭にいると落ち着いている。皆ができることが自分にはできないことはわかっているし、本人にジレンマもある。


その上で、学校ではどうしてもじっとしていられない。


話を聞けば聞くほど、私の子供の頃と同じ。


私は感覚過敏症で、さらに、まあ今で言う発達障害にうっすら入っているような気がします。今でも存分にその要素があるので、生活するだけで大変に疲れますし、これでもかなり言葉を選んで発言しています。(それでも度々顰蹙を買ってしまう)


息子、姪、甥も感覚過敏気味でしたが、今は非常に落ち着いて、私とは違うなめらかさで見事に成長しているので、ほっとしているところ。


感覚としては 「私にとって隠れてしまっているもの」 がけっこうあります。


例えば敬語の類、などは私にとって見えないものでした。数字や数学の概念も見えにくいもののひとつです。未来の概念も同じで、目標や未来像を考えることが物凄く苦手です。

隠れてしまっているものを察することが難しいので、何か失礼なことや非常識なことをしてしまい、30才過ぎても、初対面の人にいきなり怒られたりすることが何度かありました。


会社の上司にはかなり迷惑をかけましたし、常に複数人から 「だめだこの人、バカだ」 っていう露骨に冷たい目を受けながら、見えない何かから除外されていました。


子供の頃のわかりやすい例でいうと、ピアノの先生の家で前の生徒さんが弾いているときに、待てない。


ふーんと立ち上がってレッスン中のピアノのそばに行き、高音域の余ってる鍵盤を弾いたりしていました。


「妙子ちゃん、座っててね」


と先生がおっしゃると、また席に戻るのですが、すぐ立ち上がってまた空いてる鍵盤を弾いてしまう、そんな子でした。


優等生だった母はそんな私を理解できず、ずいぶん怒られました。母は常にいらいらしていましたし、体罰もかなり受けました。


女子なのにだらしなく、忘れ物も強烈でした。月曜から土曜まで上履きを忘れてもなんとも思わず、楽しく靴下で過ごしていました。


清潔感の感覚も薄く、身体は思うように動かず、好き嫌いが多く、学校はとにかく刺激の多い場所で、理解できない規則が図書館の本のように沢山あった。


皆がわあっと言う声、時計のカチカチ、校長先生の長話、定規や下敷きから反射する光など、私にとっては蜂の大群のような刺激に囲まれ、ではなぜ授業中立ち歩かなかったかというと、恐らく当時は体罰授業だったからではないかと思います。


先生は常に90センチの竹尺を持っていて机や生徒を叩きましたし、平手拳骨上等でしたから、その恐怖が勝って、拷問のように座って、絵を描いたり髪の毛を抜いたり秒針を見たりすることで必死に座っていた。凄い苦痛でした。笑


今の教育だったら、間違いなく歩き回っていたと思います。

これを訓練によって普通の人の感覚にできたかというと、出来ないと思う。私の頭には、隠されたものが多すぎて、それをいくら説明されても理解できなかったからです。


まあ、そんなで何が言いたいかというと、 母からあんなに怒られながら育っても、まあこのくらいまでは来られたんです。


でも否定否定で育ちましたので、今も生きにくいですし、何をするにもアクセルとブレーキを同時に踏み込む状態にエネルギーが消耗しますし、日々自分の中の雑音と戦いながら努力をしています。


ひとつ言うなら、もっと早くこれに気づいて、こころの開けた状態で自分を観察することが出来たなら、高校なんか行かず、なにかもっと早く専門職をみつけることができたのではないかと思うんです。


日本の、ある学区の、小学校のルール。

「授業は、座って静かに同じ話を聞かなくてはいけない」


これは普通の大人が作ったひとつのローカルルールで、別にできなくても良いと思うんです。組織が組織に合わない分子を邪魔にしてくるなら、他の場所に行けばいいと思うんです。


私にとって鎌倉幕府がいつできたかより、日常の中に感じる不思議や疑問から学習したほうが大切で、そのほうが知識が5感を通して身体に入り、点が線に、面にと次元を変えて広がった筈だ、という確信があります。


で、できれば、 「自分の力でその場所を探すことができる」 ように育てるのが、親ができる最善のことなのではないかと思います。


私自身どこに存在しても居心地の悪さを感じながら生きているので、わたしがそういう子の見本になることができないのが残念です。これも努力を続けています。


私は気付きが遅いので、この状態をはっきり自覚したのが本当にここ最近の話です。


どおりで、ものごころついたときから 「変わってるよねー・・・」 って言われてた筈だな、と苦笑しました。


「秋山さんは、人が見えているものが見えなくて、人に見えないものが見えているんだね」


これはNHK美術部でアルバイトをしていた時、とても親切にしてくださったSさんが言った言葉です。Sさんはもしかしたら凄い皮肉で言ったのかも知れませんが、大人から言われた言葉で一番嬉しく、今でも私の支えになっています。


そんな訳で、時代も令和、 「生きやすい場所を自分で探し、 自分で移動することができる (または自分で「場」を作れる)」

ということが大切ではないかと体感しています。


無理して組織にあわせたところで、組織は何もしてくれませんから。


そんなことを考えつつ、同じような体感を持つ方がいらしたら、どうぞサロンにいらしてください。


言語化得意ですから、言語化してみせましょう。笑


長くなりました。共感してくれる方がいたら嬉しいです。

(写真はネットからお借り)


おやすみなさい。





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