• 秋山妙子

「戻ってきた鳥」(長文)


4月の初旬、仕事からの帰り道に全身がギシギシしてきたので、「こりゃなにか(ウィルスを)もらったな」と思いながら帰宅し、寝た。夜になると全身が痛み、経験上、インフルのAだと確信した。


朝起きたら、「全身がひきつるように痛い」から、「全身の関節が全部痛い」に変わっていたので、布団から起き上がることができず(まず痛くて手がつけない)、芋虫のように転がったりなんだりしながら大変な時間をかけてようよう起き上がり、椅子に座った。


そのときに部屋の感じがいつもと違っていた。凄い幸福度で、空気が明るくて、色が綺麗に見える。なんか、いいなあ、と美と平和と幸せを同時に感じるような透き通る心の平安を感じて、部屋の緑を眺めた。


そこからずっと何をするにも「いたたたたたた」と言いながら、非常にクリアで満たされた気持ちの中で、ただ寝て起きて食べていた。外で何が起きているのかまったく気にならず、恐怖も感じず、とても平和だった。あのころは時間の感覚もないので、どのくらい寝ていたかよくわからない。


ある日いきなりムラタさんがやってきて私の様子と部屋の惨状を見て驚き、僕の家に来たら少しは楽になるのではないか、と言った。自分の家にいたほうが良いと思ったけど、ムラタさんといると痛みが和らぐので、ムラタさんに抱えられるようにして彼の家に行った。スマホですら重いので荷物は全部ムラタさんが持った。階段を上ることができなかったので、エレベーターやエスカレーターを使った。


そこから中央線の果てのほうで1ヶ月か1ヶ月半か、ただ寝て起きてお風呂に入って食べて、をしていた。


片手で持てるものはほとんどなく、お皿は指でひっかけてこちらへたぐり、胸のところで両手で持っていた。


ペットボトルがあけられず、製氷皿の氷も出せず、もちろん車のドアも開けられない。動作上、ちょっとでもふんばることはできなかった。子供以下の筋力になっていたようだ。


腕が上がらず髪の毛を結べないので(そしてムラタさんもまったくそういったことができないので)、私の髪の毛は白髪と天然パーマで文字通り山姥化していた。でも鏡の中の私は幸せそうで、私の目に白髪は入ってこなかった。


外に出られるようになってから、ムラタさんと毎日少しずつ散歩した。腕が重くて肩から下げていられないので、お腹にポケットのついた上着を着るようにして、手をおさめていた。季節は春で、花が話しかけるように咲いてきた。病名もつかず、収入はゼロ、全身痛いと言う中でまったく不安を感じず、何も責めず、誰のことも気にならず、非常に満たされて、すべてこのままで良かった。


どのくらい「このままで良い」のかというと、外に出かけようとしたとき、あまり服を持ってきていなかったので、ムラタさん(5L)の適当な部屋着を適当に来て、「準備できました」と言ったら、あのムラタさんが絶句していた。全体の感じからホームレスの老婆のようだったのだろう。婆に見えようと、貧乏に見えようと、浮浪者に見えようと、心の状態に関係無かった。そのときは。


少しずつ散歩の距離が伸びて、病院の検査にもいった。免疫系、リウマチ、肺、ホルモンなど、血液検査は4回か5回したと思う。炎症値が上がっているだけであとは正常、どの科の先生も「うーん」と言っていた。痛み止めだけはどこからも処方されたけど、飲まなかった。痛くてもいいやと思ったので。


毎朝起きるとお風呂に入る日課だったのを(体をあたためないと動かない)、「今日は入らなくても大丈夫かも」と思った日の午後、製氷皿の氷が出せた。夕方ムラタさんと散歩しているとき、細かい鳥の群れがいっせいにこちらにやってきて、私の頭の中の電線に戻った。それは私の中に常にあった数え切れないほどの思考の数々だった。


「ああ、戻ってしまった。治る」

と思った。私の理想は、透き通って見晴らしの良いこの心の常態のまま、動ける体に戻ることだったので、残念だった。


そこから一気に回復したように思う。とても不思議な体験でした。痛くてトイレに座るのも一苦労だったのを今思い出した。あの春は楽しい記憶しかなくて、恐れや不安が皆無になると、こんなに人生が美しくなり、毎日が輝き続けることを知った。


結局無理やり当てはめられた病名が「反応性関節炎(自己免疫疾患系)」で、なんだったのかよくわからないけど、人生の中で一番満たされた時間を過ごすことができた、そんな忘れられない年でした。


そんなわけで、頭が前の活発な状態に戻って現在に至りますが、一度静けさを知ってしまうと、今の頭の中は無駄に複雑で、かつうるさい。笑


「あのときの老婆みたいな風貌と子供みたいな表情のまま家のなかをゆっくり行き来していた妙子さんは可愛かった」

とムラタさんが言う。声を出すにも力が入らなかったので、余計別の生き物みたいになっていたのだと思う。今は気になるところを何でも指摘するので、口うるさくなってしまった。それも残念だ。


生きていて一番、楽だった。 ムラタさんをはじめいろいろな人に声をかけて助けてもらった。面白いことにその時は感謝の概念が完全に消失し、人の親切を空気のように普通に受け止めて生きていた。感謝の無い世界。それもまた、楽に生きられた大きな要因のひとつだったと思います。


そんな2020年でした。そこで生まれ変われればよかったけど、戻ってしまった。でも前とは違う。今後はあの境地を目指したいと思います。


ではでは、来年も面白く、楽しく。


みなさまも、2021へ。


どうぞよろしくお願い致します。



秋山妙子

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